津島の日記

主に映画、ゲーム、日常や愚痴を書きますよ🐏

日常映画ログ:華麗なるギャツビー

今日は華麗なるギャツビーを見ました✨

 

主人公ニックはニューヨーク郊外の小さいコテージへと引っ越してきた若い証券マン。小さいコテージの隣には毎晩パーティが開かれる豪邸があった。この豪邸の持ち主について聞いたのは、浮気性の旦那を持つ、いとこのデイジーの家に行った時。あの豪邸の持ち主はギャツビーという男で見たり会ったりした人はおろか、彼のことをまともに知っている人さえいないような謎めいた人物なのだという。

そんな中、彼はギャツビーから直々にパーティーの招待状をもらう。。いざパーティーへ行くとやはりギャツビーのことを知っている人は誰もいない。みんなただパーティーに来ているだけの人ばかり。ギャツビーが見当たらないのでニックはパーティーを楽しむことに。酒を飲んで踊る人々を眺めているとニックはある男から声をかけられる、ギャツビーだ。。そこからニックは彼自身のことや彼の思惑について深く足を踏み入れることになる…

 

いやー、なんかすごい映画。見終わった後にこんな感情になったのはマザー!以来な気がする。。あと役者全員綺麗すぎ。

序盤の印象は、無秩序で下品で華やかなパーティー。とても華やか、人に装飾に音楽に場所に全てが整ったパーティー、しかしその分秩序は成り立っておらず各々が好きなように振る舞っているような雰囲気。そしてそこへ表れた、パーティーとは対照的な秩序気品のあるギャツビー。何もかも計算、計画を練っているような奥深さが際立つ。最初の派手すぎるパーティーシーンは彼が登場する一点で見てる側にちゃんとこう思わせたいがために作られたんじゃないかと思いましたね。

そして後半はギャツビーとある人を軸に話が進んでいきますがあまり書くとネタバレになりそうなんで一旦ストップ。

 

なんかこの映画を見て感じたのは、虚栄ですね。ギャツビーはお金をかけて豪邸、装飾、パーティーを全て、ある1人の人物ために用意したのだが、結局その人物との時間の距離には敵わなかった。過ぎた時間はいくら富を注ぎ込んでも取り戻すことはできず、さらに時間の溝は深い。だが彼はこのことを分かっていなかった、というよりかは信じたくなかった、時間は取り返せることを信じたかったというようなイメージ。加えて彼は愛も信じすぎていた。自分が愛し続けているからあの人もきっとそうだ、そうに違いないという希望が彼を捻じ曲げてしまったように感じた。あの人も愛に答えてくれるはずだという前提を作ってしまったのが良くなかった。希望は現実に翻訳されず、描いている段階が一番楽しいものだと思う。

富では取り返せない時間を富で取り返そうとした彼に残るのは、ただただ広い家と空虚なパーティーだけ。彼のことをちゃんと見てくれる人はほとんどいない。ギャツビーは取り繕いすぎてたんだと思う。

でもだからこそわたしは、ギャツビーにはニックがいて本当に良かったと思いました。ニックは、利己的で軽薄で変わっていく他人とは違ってギャツビーの一途で変わらない芯をちゃんと評価していたから。

なんか難しい映画でしたわ。でも見てよかった。

ちょっとネタバレあるかもしれないけどそこはごめんなさい